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挨拶
ども。Yagirinです。
最近は温かくなり春の足音が日に日に近づいて来ているのを実感しております。
今まではこういう感覚は特になく、ニュースの桜開花予想とか花見中継とかでなんとなく春を感じていました。
春というものはあいまいな名詞(概念)である。
なので今でもこれが春だ!ということを断定はできませんが、筆者の日常にある身近なこと
例えば
- 花粉症
- 寒暖差
- 桜を見る
- つくしを食べる
- メジロを見る
などなど、探してみると意外と身近に春があるのでは?と最近では感じることができるようになってきました。
日常の幸せと同じで、春というのは意識しないと気づかないもの、気がつけないものかもしれませんね
前置きはこれくらいにして、春になって温かくなってきたので山に登りに行ってきました。
山といっても今回は山頂ではなく、手前の展望台に行ってきました。
最高地点展望台
https://goo.gl/maps/bTHZ4Ntonvovx7bd9
筆者のレビュー
そこで地元の老人(80代男性)と出会った
挨拶をきっかけにそのおじいさんのお話を聞いた。
▼おじいちゃん情報
- 70代の時に膝をダメにしていたのですが、独自の治療法(貧乏日ゆすり療法)で回復。
- 今ではここの山を登れるまでに回復した元気な80代
- 昔は富山でタラ漁師をしていた
おじいちゃんの人生論(大切なこと3つ)
- 過去
- 現在
- 未来
1.過去
過去にとらわれる人は現在を生きていない。
過去の栄光や功績、逆にトラウマにとらわれる人も同様である。
おっちゃんは感謝できる人は大丈夫とおっしゃっていました。
2.現在
未来を過剰に恐れ、過去を後悔する人は今を生きていない。
今を生きるために必要なことは信頼。仲間や家族などの信頼が必要だと語っていました。
3.未来
自分がすべきことが分かっている人は幸せである。
また、未来に希望を持てる人も幸せであると言っていた。
筆者は今すべきことで悩んでいたのでこれから見つけていきたいと思った。
以上の3つを持った人は大層な人だそうです(笑)
筆者が感じたこと
山であう高齢者はみな目がいきいきとしている。
逆に、日常の若者は目が死んでいるかたが多く感じます(筆者比)
富山弁で目が死んでいることを「タラの目をしている」といいます。
(推進100m以上の深海で釣り上げられたタラは水圧差で目が飛び出ることからこういわれている)
逆にいきいきしていることを「きときと」と言うそうです
死んだ目⇔いきいきした目
を、漁師風に言い換えると...
タラの目⇔きときとした目
山を登っている高齢者はみなきときとした目をお持ちで皆さん今を楽む方ばかりです。
普通若者から高齢者に元気を吸われると思われがちですが、
筆者はいつも山でスーパー高齢者から元気を分けてもらっています(笑)
ご高齢の方の方が、今の若者よりもいきいきしているのでは?と毎回感じます(笑)
今では少子高齢化問題で若者vs高齢者の対立構造にもっていこうというメディアの空気をひしひしと感じます。
メディアとしては対立構造を作り煽るだけで視聴率が上がり
僕たち消費者もこういった単純な対立関係は分かりやすいのでつい受け入れてしまうのですよね...(^^;
構造的な理不尽はあるのかもしれませんが
高齢者は老害だ!免許を返納しろ!
若者は選挙に行かない!迷惑行為ばっかりしとる!
など一部の報道をすべてだと思い込んでいる人が多いのもまた事実。(悲しいけど)
もちろん事件を起こした人を擁護するつもりはありませんが、その出来事ですべての若者、老人がみな悪というわけでは無いということを覚えていてほしいですね。
実際に僕が接してきた高齢者のほとんどはみな良い方々ばかりでした。
そして皆さんとても親切でした(●'◡'●)
対立による思考停止、偏見が減ることを切に願っています。
難しいお話をしたあとは春の写真で目を癒してくださいまし♪