雨。
雨と言えばネガティブなイメージが多いと思う。
筆者もバイクに乗るので雨大敵である。
通勤の社会人も、通学で自転車を漕いでいるいる学生たちにとっても雨は憎むべき大敵である。
なので人々は日々の生活で雨の魅力を忘れる。
こどものころに感じていた
雨の匂い
雨の音
空気の変化
などに気がつけなくなる。
久しぶりに聞いた雨音は普段耳にする雨音以上に豊かで複雑な音であることに気が付きた。
それはどんな音楽にも代えがたい、不規則だけどこころ落ち着く不思議な音楽でした。
深堀すると
- 雨がプラスチック板の屋根にあたる軽いドラム音
- 屋根から落ちるしずくが水面に落ちて発する反響音
- 排水溝からながれる音の高い排水音
- 遠くから聞こえる車のタイヤが水をまきこむ走行音
- 金属の薄い板に水滴が落ちて生じる金属音
などなど
これが不規則に、複雑に、無秩序にセッションする。
どの音も自分勝手に発するおとなのだが、なぜか不思議とまとまり心地よい心安らぐ音楽となる。
なんで今までこんなにも身近にあり、こんなにも素晴らしい音楽を知らなかったのだろう?
と今までのこの音に気付かなかったことに軽く絶望を感じたほどでした。
そうなってしまった心当たりはある。
それは「忙しさ」である。
人間忙しくなると心の豊かさを失うのは言うまでもない。子供と大人を見ればすぐにわかることだ。(最近の子供は技術の発達などで早熟になったので一概には言えない)
筆者も大きくなり社会人を経験してからというもの、この雨の感覚をすっかり忘れていた。
雨は絶対的に悪者だと感じていた。
でも雨というものは本来自然の現象である。
それを人間にとって都合が良ければ「恵みの雨」といい
人間にとって不都合であれば「災害の雨」という
なるほど。人間という生き物は実にご都合主義ですね(^^;
事象は同じでも見る視点によって物事が180°違うということは考えてみればあたりまえのこと。
しかし、それを理解できない人。理解できても受け入れられない人、そもそも考えにも至らない人はこの世に数多くいる。
仏陀の教えのように物事をありのままに受け入れられたら人間は野生の動物みたく豊かに生きることができるのでは?
と最近本気で思うようになりました。
しょうもない人間、人が作り出したAIからではなく
とんでもなくバカげているかもしれないが、多くの一般的な人間が見下している野生動物、草木、己の役割を理解して粛々と実行しているものから多くのものを学んでいきたいとも思った。
自然に奢らず、逆に自然から学ぶ人間になりたいものです。
ふと思ったことを走り書きした文章なのでまとまっていなかったとおもいます(^^;
最後まで読んでいただきありがとうございました!